スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  
Posted by ミリタリーブログ at

2014年05月23日

From Martial Law to Coup 2014



皆さんこんばんは。今日は、ひときわシリアスなみむです。
さて、もうご存知のこととは思いますが、タイ王国で2014年5月22日、クーデターが宣言されました。


事のきっかけは2013年11月、インラック首相率いるインラック政権が、クーデターにより政権を奪われ国外に亡命しているタクシン元首相も対象になっている「恩赦法案」を可決したことに始まります。

国民はそれに反発。翌年2014年1月13日には反政府デモ隊がバンコクの主要道路を封鎖する「Bankok shut down」を決行。同月22日にはバンコクとそのほか周辺地区で非常事態宣言が発令されるほどになりました。
2月2日の総選挙投開票では、各地でデモ隊による妨害を受けて投票が中止になる投票所も多く出てきてしまいます。
3月に非常事態宣言は解除されましたが、4月2日、インラック首相の高官人事が違憲であるという上院議員の訴えを、憲法裁判所が受理。5月7日、違憲判決が下され、インラック首相は閣僚9人と共に失職しました。

これで事態は収まらないのがタイという国です。当たり前のことですが、政治混乱が起きてしまうのです。

親タクシン派の反独裁民主戦線


反タクシン派の民主市民連合、民主党人民民主改革委員会



両派の対立が続き、緊張が続いていたタイ王国国内。そしてついに、治安維持を目的とした戒厳令を発令。追って昨日22日、クーデターとなったのです。宣言者である陸軍最高司令官プラユット以下王国軍は、簡単にまとめるとこのように発令しています。

バンコクや郊外で発生している暴力により無実の市民が死亡し、傷ついている。この状況が続けば、国の安全・国民の生命、財産に深刻な影響を及ぼす恐れがある。
よって、陸海空軍・国家警察からなる国家平和秩序評議会は、午後4時半を持って国王に関する条項以外の憲法を停止し、行政権を掌握した。
ついては、夜間に外出することは禁止とし、禁止時間に外出する者に関しては、軍・警察が必要な措置を取ることができるとする。
また、国内のテレビ局・ラジオ局に関しては、当面の間は評議会から発せられる情報のみを発信することを命ずる。
さらに、5人以上の集会を禁ずる。反政府デモや、政権支持派の集会は解散し、帰宅すること。


これを受けて、国内で開かれていた集会参加者やデモグループ等は、軍の用意したバスなどで移動を始めている模様です。
気になる国内邦人ですが、今のところけが人等のニュースは見かけませんでした。大使館は外出を控えるよう、等の呼びかけを始めています。

実は、戒厳令が発令されたあと、軍は政権官僚やステープ元副大統領、デモ隊幹部等を呼び出して平和的話し合いの場を設けていたのですが、選挙のやり直しを求める政権側と、「そんなことより政権改革が先」と叫んだ反政権側の対立を見た軍はクーデターを決断したようです。

かつて割れた国を仲裁した現ラーマ9世も、力が弱まっているようですし、この先のことをかんがえても軍のクーデターは正解だったのではないかと思います。

もちろん、血が流れなければ、ですが。

2014年5月23日追記
これからも、追加情報ありましたら追記していきますので、お楽しみにどうぞ。
今回は、テレビで繰り返し放送されている司令官が並んだ写真を紹介します。


上が戒厳令発令時、下がクーデター宣言時の写真です。
左から、国家警察、空軍、陸軍、海軍、陸軍と並んでおるのですが、特に中3人を紹介します。
陸軍総司令官プラユット・チャンオーチャー

一番真ん中にいる人で、陸軍で一番偉い人です。国防専門学校、チュラチョームクラオ陸軍士官学校を出てる超エリートです。
第21歩兵連隊で女王警護の任に就いて1年後、彼は第二歩兵師団の副司令にまで上り詰めました。さらに3年後、第2歩兵師団が属する第1軍管区の副司令官となり、、、とこれだけ書いてもエリートだってことはわかってくれると思います。


右に控える海軍総司令官ピーパタナーサイです。
彼のことはよく知りませんが、よく写真で顔を見ます。


左に控える空軍総司令官プラチン・チャントーンです。

正直、一番左の警察の人と一番右の陸軍の人は名前も顔もよく知りませんでした。



  続きを読む

Posted by みむ  at 02:26┣Thailand